>日本の性風俗の発展ていうのは、本当にこういうことの繰り返し。だから、赤線売春防止法以降、赤線が廃止された後も、赤線業者たちというのは、RAAのときに巨額の金がばらまかれているんですよね。  そして、それはうやむやになって、返さなくていいということになっている。うやむやになっちゃった。だから、性風俗の発達の手助けしているという側面もある。 ニポポ:  すごい。実は、現状の名残である性風俗も政府資金が回っていた可能性が。 中田:  そうですね。ですから、赤線は、結局、GHQが「売春ダメだよ」と言ったこ

 

宗教改革によって、そのような場所が批判され「スチュー」「ホットハウス」「バーニョ」などいずれも浴場を現す単語がイコール「売春宿」という意味になったのも、そういう認識が一般化したからでした。

トルコ風のいかがわしい風呂

17世紀ウィーン包囲が解かれて西ヨーロッパに対するオスマン・トルコの脅威がさほど大きなものにならなくなった後、トルコの文化は異質でオリエンタルなものとして好奇のまなざしで見られるようになり、その中で風呂文化は官能的な欲望の空間として見られるようになりました。

18世紀後半まで30近くの「トルコ風浴場」が作られ、ロイヤル・バーニーのような普通の浴場もあったのですが、多くが売春宿でした。

そのため「トルコ風呂」=「売春宿」というイメージに結びついていったのでした。

 

 

徳川時代には、法令、藩法、郷村規約などで、しばしば夜遊びや夜這いの禁令を出したが、婚姻制的な強制ではなく、風俗的な取締りにすぎないものであった。

明治維新には近代化が図られ、明治政府富国強兵の一環として国民道徳向上の名目で、一夫一妻制の確立、純潔思想の普及を強行し夜這い弾圧の法的基盤を整備した。また農漁村への電灯の普及などもあと押しし明治以降は衰退する傾向にあった。明治政府は資本主義体制の発展を図り、農村、とくに貧農民を農村から離脱させ、都市部に吸収して安価な労働力として利用し、農村では小作農として定着、地主封建的地代の収奪を強行し、地主対小作の対抗を先鋭化させた。その結果、都市や新興の工業地帯の男性の性的欲求の解消のために遊郭売春街三業地などの創設、繁栄を図り、資本主義的性機構の発達によって巨大な収益を期待した。

農村地帯で慣行されていた夜這いやその他の性民俗は、非登録、無償を原則であったため、国家財政に対する経済的寄与が一切なかった結果、明治、大正の頃まで夜這いが盛んだったのは、山深い山間部の村落中心となった[1]

 

 

 

 

 日本の性風俗の発展ていうのは、本当にこういうことの繰り返し。だから、赤線売春防止法以降、赤線が廃止された後も、赤線業者たちというのは、RAAのときに巨額の金がばらまかれているんですよね。

 そして、それはうやむやになって、返さなくていいということになっている。うやむやになっちゃった。だから、性風俗の発達の手助けしているという側面もある。

ニポポ:
 すごい。実は、現状の名残である性風俗も政府資金が回っていた可能性が。

中田:
 そうですね。ですから、赤線は、結局、GHQが「売春ダメだよ」と言ったことによって、遊郭とか、カフェ建築とかいう形になっているんですよ。

http://originalnews.nico/109351