the Rape

ところが科学界の構成員の多くに特徴的なのは、自分たちが研究している世界は直接理解することが可能であり、それは言語ではなく論理や実験によってのみ形成される概念で表すことができるという共通の前提に立っていることだ。
したがって科学の記述的言語は無色透明で中立的なものであり、なんら吟味する必要はないということになる。
言語が無色透明であるという確信はその言語が絶対的であるとの信念を生む。それによって、言語はメンバーであることを確かめる手段としてだけでなく、科学という学問領域の境界線を守るための排他的申し合わせを強化する役割もになう。こうして、透明と前提された言語は不透過性のものとなる。通り抜けようとする者に対して境界線を閉鎖すれば、自分自身の言語が避けがたく自己補強的であること――それどころか自己目的でさえあること――は、目に見えないままである。
(エブリン・フォックス・ケラー)



どこかに「人はみな知らないものをこわがり排除しようとする。必要なものは、ゆえに、教育なのである」と書いてあったのが強く記憶に残っている
虎井まさ衛



そこでは、みんな少しでも真剣なことを語ってはいけない。
そこにいるのはみんな、バカであり…
それはもう決まっている。
お互いに真面目な話をすべてひっくり返し、すべてを茶化し、すべてを希薄化する。
みんなを「不真面目」の泥沼にたたき込まなければ気がすまない。他人をおとしめ、そういう自分もおとしめ、すべての尊厳を引きずり下ろすために全エネルギーを注ぐ。このルールに従わない者は「嫌な気分」にさせる者であり、徹底的に糾弾せねばシメシがつかない。
個人語を語る者をやはり徹底的に排斥する。