規格外 out of the presupposition

(編集中)

だ。好きになるのは異性ではなく同性の女の子なのだが、それが友情なのか恋愛なのかはっきりしないまま。「同性愛」を辞書で引いても「異常性欲のひとつ」、心理学の専門書でも「一過性のもので成長すれば異性のほうに向かう」と書かれているだけで、情報があまりにも

 大阪市内の私立女子高校に勤務して10年。5年ほど前から好きな女性と一緒に暮らしているのに、「先生、結婚せえへんの」と生徒に聞かれても、教員仲間から「今度、クミちゃんちに遊びに行くわ」と言われても、きちんと答えられない自分がずっと苦しかったのだ。

ってきた中に、自分が言いたい以上にシンプルな声を寄せてくれた子がいた。
<先生の話を聞いてびっくりしたけど、いろんな人がいて、いろんな生き方がある。その状態が楽しいんだなと思いました>
「あまりに素直なこの声こそがもっとも正解じゃないかと思った
http://www.jinken.ne.jp/sexuality/ikeda/index.html



たしかに、最初にオマエを見た時はビックリしたよ。どう接していいのか、何を話したらいいのか分からなかった。でも、クラスメイトとして話をしたり、一緒にメシを食うようになって、いつの間にかオマエが×××だってことが頭から消えちゃってるんだよな。それで、『じゃあ、みんなで遠くに遊びにいこうか』となった時に初めて、『あ、そっか。そういえばオマエは×××だったんだよな。それじゃ、×××××ったオマエを連れていくには、どうしたらいいんだろう』となるんだよね
五体不満足乙武 洋匡)


どこかに「人はみな知らないものをこわがり排除しようとする。必要なものは、ゆえに、教育なのである」と書いてあったのが強く記憶に残っている
虎井まさ衛




分類や数に重きをおく今日の研究のありかたは違いから注意をそらし、「それを例外だ、異常型だ、異物の混入だと片付ける」態度を助長しているという。その代償はきわめて高い、と彼女はみる。「右も左も、何が起きているか」を見失っているというのである。
(エブリン・フォックスケラー?)


いったんできあがってしまった論理には、もはやそれ以外の解釈を許容する余地はない。断片はそれぞれの場所にしっかりとはめこまれ、けっして揺らぐことはない。結果には絶大な確信がおかれ、その解釈「以外のいかなるものも」頭に浮かばない。ある意味で、妄想症の人間は典型的な緻密きわまりない科学者に似ているともいえる。
(同上?)


私が「きれいごと」を嫌うのは、こうした言葉を生徒たちの頭に注入する場合、先生は意図せずにマインドコントロールの姿勢をとり、彼らから言葉に対する敏感で繊細な感覚を奪いとるから。「ね、わかったでしょう?」という笑顔の裏で「疑問をもつな!」と叫んで、子供たちのあらゆる批判的姿勢を突き崩すから。宗教教育とはみんなこんなものですけれど
(?)


そして、こうした問題は社会の発展過程の研究ともつながるであろう。ヒトの数が増すにつれて分化が始まり、階層構造をなす。さらに、この階層構造は社会規範へと固定されていく。また、多様な化学反応が互いに触媒していくシステムとしての生命の誕生過程は、多様な商品が互いに触媒的に再生産される状態としての資本主義システムの出現と共通な数理的構造をもつと思われる。
(21世紀、物理はどう変わるか/日本物理学会編)