the love song

Father:
"Do you love your guns?" {Yeah}
"God?" {Yeah}
"And Government? " Fuck yeah


The Love Songというタイトルがあって...そして私はそれをとても皮肉的に扱いたかった...だから、二つの側面からこれを書いたんだ。私はloveについて二つの皮肉的な見方をしたかった。そして私がしたことは、手が父親で、リボルバーが母親で、弾丸が子共であるという比喩を作り出した。子どもたちがどこに行き着くかは親が彼らをどこに撃ったかのせいなんだ。また、もう一つのレベルで、私はアメリカが固く守り、もっとも好きな三つのもの、銃、神、政府、を比べた...(marilyn manson


一人残らず自立せよ/ 


家族内暴力についての私の考察の多くは社会科学から与えられた。もともと社会科学とは社会というマクロな領域を対象としているのだが、その対極にあるミクロな私的領域である家族の暴力も権力・支配によって起こるとすれば、私には双方が構造的には相似であるように思える。ひょっとして国家間の紛争、暴力と家族の暴力が同列に論じられることになるのかもしれない。家族とは愛情共同体なのではなく権力構造なのであるということをいち早く主張してきたのがフェミニズムだったことにあらためて気づかされている。
家族の暴力を見えなくさせてきたのが「愛」ということばだったとすれば、その裏側に張り付いている権力、支配というものに自覚的でなければならない。虐待、DVは特殊な家族において起こるのではなく、ごくふつうの平和な家族と地続きなのだ。差別されたひとは差別するように、DVの被害者は時として虐待の加害者となるだろう。この連鎖を断つ大きな契機が本章で主張した「当事者性の構築」なのだ。
自らの権力性を足元の日常である家族において自覚していくこと、このことによってしか家族の暴力は見えてこないだろう。見えなければ防ぎようもないだろう。これは私自身がカウンセリングの経験を通して得た実感でもある。



親を批判することが社会の矛盾や教育の矛盾から目をそらすものであるという批判もあるが、同心円構造という視点から見れば、別の見方もできる。つまり親への批判が社会への、国家への批判であるがゆえにタブー視されたのなら、親への批判、反逆は社会への強力な批判に他ならないのだ。


一九九八年三月三十一日に発表された中教審の中間報告にあるように、文部省(当時・以下同)みずからが「家族のあるべき姿」に論及した。それはふつうの家族が機能を果たさなくなっていること、そしてそこに踏み込まざるを得ないという現状認識を文部省がもったことの表明である。それは学校と家族のタイアップの強制であると同時に、家族の機能の衰退に対する国のてこ入れでもあろう。具体的提案は家族の行事の復活や父親の家族回帰など、従来のステレオタイプの家族像の強化でしかない。ふつうの家族に問題が起きたことに対して、ふつうを強化することで対応しようとしているのだ。それは家族が国からどのような期待を寄せられているかの露骨な表明である。(信田さよ子




(しかし「 」を数ヶ月やっただけで、別れられては「家族」が成り立たない。妊娠し、子どもを責任もって育ててくれなければ、国が滅ぶ)。だから(ここから先は別にビネーは言ってはいないが)恋愛が終わっても、今度は愛という絆で家族はつながっているのだと錯覚させようとする。誰のために?国のために。こうして、「人格とセックスと結婚」は統合するというイデオロギーが発生した。

恋愛に「永遠」と「絶対」を夢見るのが、悲しいかな人間である。そういう人間の弱さが国家の目的と一致するからこそ、結婚制度はその威力を失わないのである。(小倉千加子


現代人が「愛」を性の束縛のための道具として使用していることは、フェミニズム論のもとでは、自明の理として語られるようになっている。しかし、「愛」に仕掛けられた罠を見破ったからといって、そこから逃れられるわけではない。(坂東真砂子



男女が互いに好きになれば結婚するものだという「恋愛結婚」が主流になったのは、実は「一九四〇年体制」に端をを発する。自由経済に対する国家による統制経済的体制である「一九四〇年体制」は、男女のあり方に対しても、社会統制を戦時中に強めていった。戦中期には、若い男女が一緒に街を歩くことも禁じられたが、それは、家族外での恋愛や性関係を国家によって統制し、家族の秩序や道徳を強調するためであった。言い換えれば、恋愛感情を家族の中に囲い込む「恋愛結婚イデオロギー」が国策として徹底利用されたのである。国家は大きな家族であり、天皇の下に無数の家族があり、家族の中には家長がいて、女子どもを統制する。家長の目の届かないところで娘が恋愛感情や性関係を持つことは禁止され、すべてのエロスとセクシュアリティは家庭内でのみ許されることになった。夜這いや農村での祭りの夜のフリーセックスは前近代的な悪習として放逐されていった。夜這いに代わって近代売春制度が普及し、それは国家によって管理された。家庭の中では、家長と家婦は「性愛」で結ばれており、親と子は愛情で結びつく。性愛感情は家長に対する家婦の従属を巧妙に隠蔽する。二十一世紀になっても、婚姻外でのセックスで妊娠が生じれば「できちゃった婚」によってやすやすと婚姻の中に男女が回収されていくのも「一九四〇年体制」の影響が払拭されていないからである。



近代になって発生したロマンティック・ラブを日本で最初に体現したのは、明治時代に現れた、なんらかの形でキリスト教と縁のある高学歴男女のカップルである。彼らは、お見合いで出会っていることが多い。そして、禁欲的な一夫一婦制を、相手への貞節ゆえに遵守し、男性の蓄妾制度を封建的時代の陋習として、断固としてこれを斥けたのである。家庭は聖なる場所であり、酒に酔って妻に暴力を振るったり、大声で怒鳴ったりする「殿方の過ち」を矯正させるためには妻は夫の人格を陶冶するほど純潔な存在でなければならない。お互いを尊重し、終生連れ添って、家庭を「愛」の実現した場にする。そういう美風こそ、ロマンティック・ラブの結実したものである。互いに対等であるためには、妻には教養が必要であり、結局は家と家が釣り合っていなければ、結婚の理想は実現できない。従ってお見合い結婚ほど、ロマンティック・ラブの豊かな土壌となるものはない。



日本のお見合い結婚は、キリスト教の宣教師が運んできたロマンティック・ラブの実践でありながら、しかし同時に旧支配階層の家制度意識を庶民にまで拡大する機能も併せ持った奇妙な風習であった。
結局、ロマンティック・ラブとは、もともと育ちのよい、西欧化された教養を持つ、蓄妾制度をマチズモの証としないという意味において女性的な(通常はこれを紳士的と呼ぶ)男性と、夫の純潔をはなから疑わないという意味では夫以上に純潔な妻の間にしか棲息しない感情であった。結ばれるときには、生涯かけて相手を愛することを自らに誓う契約結婚であり、一時の衝動による結びつきではない。不貞、特に妻の不貞は、同格の両家の財産を脅かすので強く戒められ、そういう自戒は女性に内面化され、相手への貞節を自分が望んでいるのだという錯覚を作り出す。それは理性的であるからして、なにがしか低体温であり、継続的であるからして、なにがしか不完全燃焼である。しかし、よく言えば、精謐な夫婦愛となって、子どもたちには理想的な両親となる。(小倉千加子