いじめいぢめ虐め

・躾け 教育 いじめ しごき

・"いじめ" "差別" うさばらし "スケープゴート"

・染脳 AC ストーカー セクハラ "過保護" モンスターペアレント・DV "虐待" 依存症 サイクル ダウンワードスパイラル

・迫害 攻撃 抹殺



ichiou 「"いじめ"」と「いじめ」として区別してみた
「いぢめ」という表記もあるけれどかえって違うものを指してしまう気がした。

旧来の「いじめ」には、(ブラックユーモアも入っているのか?)好意的な意味を指すこともあった様子で、「いじめ」という語そのものは善し悪しのニュアンスと遠いニュートラルな語であった様子、、世代年代ジェネレーション間のギャップからそう感じた。(だとすると近年騒がれた「"いじめ"」と旧来からの「いじめ」は別なものを指している)(でも「虐め」とか「苛め」って字のニュアンスは「"いじめ"」の方だなあ)
なので、上記の区別をした。(これを混同したままではそもそも議論にならない)



「いじめ」 には元々今の様な限定的な意味は無く 良い意味の時もあったのに 今の「"いじめ"」は 「差別や迫害や虐殺虐待」 といっしょくたにしても障り無いだろうねこちらを 「いじめ」 とは区別したいが、「いぢめ」ってのもなあ


・・・・・・


では、この「いじめ」と「"いじめ"」をどう区別するのか

例えば 「弟子いじめ」「後輩いじめ」等を想定してみる
この場合師匠や先輩の性格がひねくれていると「いじめ」が発生しそうです。 
しかしひねくれて意地悪をしているもののどれも些細なことばかりで、同時に教えるべきことは教えていたりなんだかんだいいつつメンタル体調管理にまで気を配り育てている・・・などという場合、これが「ご年配の方々が想定し主張した 旧来の いじめ」とかいうやつだことでしょう。  
先輩や師匠に『愛や善意』や熱意がある・・・とは言いませんが、愛とか善意とはいかなくても、そこそこの良識とか『「あんまり変なことやってると何か言われそうだしまあいちおうそれなりにちゃんとやっとかないと恐いし」くらいの適度なビビリ』とかプロ意識とかプライドとかがあったりしていればOKでしょう。


『「あんまり変なことやってると何か言われそうだしまあいちおうそれなりにちゃんとやっとかないと恐いし」くらいの適度なビビリ』が崩壊する状況シチュエーションがありますね?  先に挙げた「鬼ヶ島や節分の御噺」です。いわゆる"差別"とかですね。"スケープゴート"ですね。
この場合『適度なビビリ』は「"いじめ"」を助長する側にも働いてしまいそうです。



『愛や熱意』があればいいのか・・・そもそもそんなもの用意するのが困難ですって話もありましょうが、それだけでもダメなんじゃないかという想定として、 ストーカー AC 等と挙げてみました 
(強い信念をもった教育は時として「染脳(洗うって字に違和感を感じたので他の字を充てときました)」となってしまうとかというかそもそもそれらを区別することなどできるのかできないのか・・・なんて話もおいといて。)
DVは『愛』なのか?って話もあるけどそれはおいといて。
以下のような場合を挙げてみました。
・「お国のために死んでこい おめでとう!」
・「穢れた誤った邪悪な存在である你は殺してやるのが你の為 死ね!」



そして近年騒がれているという「"いじめ"」にはこのように 相手の為を思ってしたのだけれど などあるわけもなく、 相手の為を思って行為しなくてはならない というタテマエ共通認識すらも無いのでしょう。

逆恨みストーカーじみた思いは介入しうるかもしれませんが、それを意識させるものもないのでしょう。

よく「虐待をする側こそ相手に依存している 心理的には追い込まれてる」なんて言いますが、そんなこといっても渦中にいるとどうしようもありません「右の頬と左の頬を殴って鞭で打って引き回して十字架に吊るして窒息させて」とか言うしかないっていうかそんな余裕は一般的にはありません


(続く略)