『LAMB OF GOD』


LAMB OF GOD


この曲のコーラスはアルバムの多くのことを表している。これは、特にアメリカで、彼らの死の商品価値のために、どのように主義のために殉じる人というものが出来ることをいっている。キリスト、レノン、そしてケネディは皆、そのようなドラマチックな方法で殺されている。私はそれが人々が彼らを聖人扱いした、理由の半分だと思っている。そして、それは人々が、暴力を愛し、そのドラマが好きだからだ。(マリリンマンソン)



がっしりとたくましい体つきをしたこの田舎の少女は、短い生涯で一度も写真を撮られたことがなかった。.......しかし聖像画家にためらいはなかった。マリア・ゴレッティはその死によって、スズランの花を胸に抱いた華奢で繊細な美女として偶像化され、ジョン・クールソン著『聖人たち』の「飛び抜けた美しさ」といった表現に代表されるような言葉で描かれている。

非業の――性的な意味あいを伴う――死を遂げた女をヒロインの地位まで持ち上げるのはキリスト教の考え方であり、旧約聖書ユダヤ教にこの考え方はみられない。受難の死を遂げる女は――いや、女ばかりか男も――実用主義的な旧約聖書には著しく欠如しており、逆に家父長的支配が未確立であることの結果として、力で勝利する強い女の痕跡がそこここに残されている。(スーザンブラウンミラー)

   




以前目にした映画監督アルフレッド・ヒッチコックのインタビューに、主演女優として望ましい女性の特質とは何かという質問があった。彼女たちに共通するのはある種の弱さだ、というヒッチコックの答えに、私は驚いたものだ。…

つまるところ、ヒッチコックの言葉は的を射ている、と私は考えた。彼の映画に主演した女優たちに共通していたのは「繊細さ」や「感性」ではなく、「弱さ」だったのだ。彼女たちは皆、傷つけられ、ものにされる存在であることをうまく演じたのである。…



(スーザンブラウンミラー)



女たちが抱える心理的負担には、男にとっての女の魅力すなわち性的な好ましさは、犠牲者の役割を演じる能力と正比例するという、数多くの証拠によって裏づけられた根深い信念の重しがかかっている。…
…男は女をひっかけたりしない。勝ちとるのだ。そして究極の女性の魅力は、男に勝ちとられる存在になる能力にある。女性の魅力とは、獲得された戦利品としての魅力なのだ。

強姦犯は、いわゆる「性的魅力」とはまったく関係なく――七四歳の老女でも、一二歳の歯列矯正器をはめた少女でも――獲物を襲うことはすでに知っていたし、ニューヨーク市警察の統計でも強姦の被害者は白人より黒人のほうが多いことが示されているにもかかわらず、タブロイド紙に大見出しつきで登場する被害者は、中流階級の若く「魅力的」な白人女性ばかりだったのだ。

それから数ヶ月を経て、私はタブロイド紙の代表格であるニューヨーク・デイリー・ニューズに絞って詳しい調査を行うことにした。………そこで女性たちが他の女性の人生の何について読むか――または、他の女性たちが何をしたために記事になるか――……… …

女性がデイリー・ニューズの記事にとりあげられるには、二つの確実な方法があることを私は知るにいたった。ひとつは有名な政治家か宇宙飛行士の妻か娘になること。もうひとつは、強姦殺人かそれに類する悲惨な事件の罪のない無名の被害者になることだ。三つ目の方法として、自分が犯罪を犯すという手もあるわけだが。
 


この先もポルノの中心をなすのは、女性の裸体と乳房であり、むき出しの性器であるにちがいない。なぜなら男の筋書きにおいては女性の裸体は女性にとっての「恥」、その性器は男の所有物であり、他方、男の性器は太古の昔から神聖かつ普遍的な家父長的権力のあかしであり、女性に対する力による支配を象徴する道具だったからだ。 (同)





マリリン・マンソン/ボウリング・フォー・コロンバイン