読書メモ 変えてゆく勇気


バラバラの「点字ブロック

 バリアフリーの街づくり、と開いて、おそらく真っ先に思い浮かぶものの一つが、「点字ブロック」ではないだろうか。「点字ブロック」というのは商標登録で、正しくは「視覚障害者誘導用ブロック」という。一九六五年、日本で発明され、二年後、岡山県で初めて敷設されて以降、全国的に整備が進み、国上交通言によれば二〇〇五年四月までに全国で二七〇〇万枚が敷設されているという。
 ブロックが伝えるべきメッセージは、①安全な進行方向、②危険箇所や分岐点、目的地の警告に集約される。縦長の突起を並べた線状ブロックで「進め」を、点の突起を並べたブロックで「止まれ」や「注意」を意味していると考えるとわかりやすい。①を「誘導ブロック」、②を「警告ブロック」と呼ぶ。
 全盲である場合、足裏の感覚や自杖で路面をなぞった感覚で、誘導と警告を識別する必要があるのだが、驚くべきことに、二〇〇一年九月、日本工業規格(JIS)でブロックの突起の大きさや形、並べ方が決められるまで、統一された基準は作られてこなかった。
 このため、JIS規格ができるまでの三回年間に、街にはさまざまなブロックが敷設されてきた。中には「誘導」に役立たないばかりか混乱を招くもの、他の歩行者に不快感を与えるものも少なくない。視覚障害者にとっては、歩いていく先々で突起の種類は変化することになる。規格で二七センチと決められている誘導ブロックの縦線が、長さ数センチの楕円に置き換わっているといったケースが少なくないからだ。これでは危険箇所がわからない。中には「止まれ」を示すブロックが経路を示すために、延々と敷かれているケースすらある。


「体温」を伝える

 議員は遠い人――というイメージを抱いていないだろうか。私自身もがってはそう思っていた。議員と言えば、町の名士であったり、何か組織的なバックグラウンドがあったり、ある意味、良くも悪くも権力者だという認識でいたのだけれど、今は、そういう認識こそが政治を遠ざけてきたのだと思っている。壁を作っていたのは、思い込みにとらわれている自分自身だったのかもしれないとさえ思う。
 議員になって感じるのは、市民と議員の間にはまだまだ心理的な距離かあるということ。「会ってもらえるのだろうか」と今なお大多数の市民は思っているが、「求めがあれば会おうとする議員は少なくないのに」と今の私なら思う。
 行政に変わってはしい問題も、政治にしか解決できない問題もあるだろう。もし解決してほしい問題があるのなら、まずは自分の往んでいる地域の議員に相談してみてもいい。政治家は私たちの代弁者。私たちが選ぶ代表者だ。相手の理解を得られるか、不安に思う気持ちがあるのは確かにわかる。しかし恐れるだけでは何も解決しない。政策決定の現場へ私たちが送り届けている代弁者に、自分たちの「体温」と生の声を伝えることが大切だ。
 多くの人は自分たちの問題を訴える上で、まず街に出て市民レベルでつながろうとする。ビラを配る、署名活動をするという発想は一般的だ。しかし、政策決定の現場を眺めていると、署名活動に費やした努力と汗が、行政や議会にどれだけの重みで受け止められているのかについては疑問が残る。
 何万筆もの署名を添えて行政に陳情書が出されたとしても、そのことが役所から議員それぞれに説明されるわけでもない。マスコミ報道でもなければ、伝聞程度のインパクトしかないということになりがちだ。
 また、何万筆もの署名を添えて議会事務局に陳情書が出されたとしても、議会の採決はその数にダイレクトには反応しない。議員がその署名簿を直接手にとって確かめるということは通常しないのだ。日々配布される膨大な資料の中の一頁に、数字の羅列として報告されて終わりである。
一方、議員本人に会って直接依頼する「ロビイング」のインパクトは大きい。何かを懸命に訴える人の迫力は忘れられるものではない。その表情、声は強い印象として記憶される。行政や議会事務局に署名簿を渡しておしまいというのでは、なかなかその「体温」は伝わらないのだ。



 一九九七年のことになるが、東京・駿河台の明治大学刑事博物館で開かれた「ヨーロッパ拷問展」に行った。私が訪ねた日、会場は比較的閑散としていたけれど、日本に展示品が来る前、メキシコで聞かれた巡回展には一〇〇万人もの見学者があったという。
 展示品は、中世から近世にかけて刑事裁判や宗教裁判などで使われた、実際の拷問具や処利器の数々。展示品にはそれぞれ、道具が使われた年代と地域、裁かれた対象者が列挙されていた。私を驚かせたのは、実に多くの器具が、宗数的異端者、魔女と並んで同性愛者を拷問し、処刑するために使われていたという事実だった。
 キリスト教が同性愛を背徳としたことから、中世のヨーロッパでは同性同士で性行為を行なった者は教会裁判所によって処罰された。その後のヨーロッパ各国には主として男性間の性行為を罪とする「ソドミー法」が広がっていった。
 「ソドミー」とは、広義には生殖につながらない「不道徳」な性行為全体を指す言葉で、狭義には同性間の性行為を指す。その名は、同性間の性行為にふける市民が多いために滅ぼされた、『旧約聖書』に登場する都市ソドムに由来しているとされる。
 ヨーロッパからソドミー法が完全に姿を消したのは、時代が下って一九八〇年代、ヨーロッパ人権裁判所によって、各国に残るソドミー法が欧州人権条約に違反するとした一連の判決が出されて以降のことである。
 さらに、アメリカでも最近までソドミー法が残っていた。廃止のきっかけとなったのは、二〇〇三年六月二六日、アメリカ連邦最高裁判所が出した画期的な判決である。同判決は、テキサス州で提起された、ソドミー法の無効を求める訴訟に対し、同法は連邦法に照らして個人のプライバシーを侵害しており違憲との判断を示した。その上で同判決はテキサス州法のみならず全米一三州に残っていた同種のソドミー法すべてをまとめて違憲としたのである。このたった一つの判決をもって、かつて全米五〇州で制定されていたソドミー法は、アメリカから完全に姿を消すことになったのだ。
 一方で、二〇世紀に入ると、同性愛は精神疾患として位置づけられるようになった。一九百二年、アメリカ精神医学会が発表した診断基準DSM−Iでは、同性愛は「病的性欲を伴った精神病質人格」とされている。同精神医学会がその診断基準から同性愛を削除したのは七三年のことである。同性使者の人権回復を求めるゲイ・ムーブメントの高まりも背景にあったとされる。WHOの疾病分類ICDは、九三年の改訂第一〇版で「同性愛はいかなる意味においても治療の対象とはならない」という宣言を行なった。そして日本精神神経学会が同性愛を精神障害と見なさないとしたのは九五年のことである。


 これは、一九九四年六月から九月にかけて、札幌・東京二三区・名古屋・大阪・福岡の五大都市の満一三歳から二四歳の若者を母集団に選び、住民基本台帳から無作為に一万人を抽出し、完全にプライバシーが守られる方法で行われた、厚生省科学研究費事業「思春期闘のパートナー関係についての調査」の質問の一部である(有効回収は一九六八通)。
 質問1に「はい」と答えた日本の若者たちは二〇・二%、質問2に「はい」と答えた若者たちは一〇・一%に上った。これを皆さんはどう感じるだろうか。
 同性に惹かれたことのある人は五人に一人、身体的接触をもった人は一〇人に一人。つまり、家族にも、友人にも、クラスメートにも、同僚にもいるという数字である。
 この調査結果を分析、論評し紹介した著書『青少年のエイズとセックス』の中で編著者の宗像恒次氏は次のように記している。

 このような調査が、わが国で大規模な無作為抽出人口を対象に行われたのは初めてであると思われる。男女ともに約一〇%の同性愛指向の性的指向を確認できたが、これは世界的にみても一般的な割合である。一〇%に達する同性愛の中学生、高校生の存在を踏まえた性教育エイズ教育が必要とされる。ちなみに性教育の学習目標で「異性への愛を育む」という表現が見られる。これはとても差別的であり、悲しさを感じる生徒も少なくないだろう。「人間への愛を育む」とすることが望まれる。 


 さらに言えば、人は誰かを好きになって当たり前、ということにもなっている。だが性愛はそんなに単純ではない。同性を好きになる人もいれば、男性、女性どちらも性愛の対象としない、もしくは性欲そのものを感じない人たちもいる。しかし、そうした人たちもまた世間の想定外だ。本来、誰に惹かれるのか、惹かれないのかは、多様なものなのに、社会がもつ異端視の圧力によって、少数者は口を封じられる現実があるのだ。


 問題になるのは、ここでも社会制度の壁と人の心の壁だ。この両方が変わらないとやはり生きにくい。前節で見たように、性的少数者が一〇―二〇%も存在しているということは、自分の兄弟や友達、同僚にも当事者がいるかもしれないということだ。ところが、ほとんどの人は、そのことに気がついていない。するとどういうことが起きているか。
 テレビで、同性愛者が面白おかしく語られるものを見て、身近な人から「こいつら気持ち悪いよな」という言葉が出てきたら、本人はどう思うだろう。私の場合は、表面上は笑って見せた。しかし内心では、「この人には、絶対言っちやいけないんだな」と悲しかった。これは、多くの当事者が、自分の家族や周囲に抱えている感情だ。

 彼らは言う。「自分で自分をはかの人と違うのかなと子ども心に思ったり、思春期の頃に気づいたりして、それを認めるのに五年、一〇年、一五年かかった。やっと自分は自分でいていいのかなと思えるようになった。でも、そう思ったところで兄弟にも親にも本心は言えない。自分たちは存在していないように社会の制度も空気も動いている」と。


たとえば日本では、年長者が親になり、年下が子になる養子縁組の手続きはとても簡単だ。書類一つで家族になれて、財産分与などの権利も保障される。それを婚姻の代わりに解決策とする同性愛者がいるのも確かだ。しかし、それはあくまで代替策であって本当の解決ではないはずだ。既存の異性愛だけを前提とした婚姻制度では平等な権利は保障されない。長年連れ添ってパートナーとしての関係を築いていても、同性間には何の権利もない。財産分与といった家族の権利もなければ、パートナーとしての社会的な認知も得られない。それがどんなに残酷なことか、わかってほしい。


変えてゆく勇気 上川あや 2007