読書メモ

 日本は、島国です。だから祖先は、たいてい海の民でした。私の母の
ルーツには、下関の船乗り・明石の庄屋・浪速の商人がいます。すべて
瀬戸内の海の民です。海賊、漁師、流民……海に逃れた人も、速い地に
あこがれた人も、征服を夢見た人も、海を渡る人は、自由気ままにさす
らいを求める傾向が強い人だったのでしょう。
 ところが、数千年の歴史の中で(とりわけ江戸時代に)海の民の九〇
パーセントは支配者に自由を奪われ、土地に縛られるようになります。
安全な生活の代償として、根性・忍耐・遠慮・節制・柔順といった、農
業的・儒数的な土着の価値観が生活を支配しました。明治政府も農業神
天皇」を中心に、儒教的・神道的な普通を、民に強く求めようとしま
した。
 しかし、皮肉なことに富国強兵策は、工業化を予想以上の早さで押し
進めます。人々は田畑を奪われ、地縁血縁共同体から切り離され、駆り
集められた都会の中で、一人ひとり丸裸の労働力として孤立しました。
 このむなしさを紛らわすように、人々は、工業的な都市に農業的な村
社会をもちこみ、実態がなくなったぶん余計に農業的普通のイメージを
求めはじめたのです。

 最近、普通じやないと感じるこどもが増えています。
 高度成長は、農業を工業に屈服させました。敗戦で神の位置を追われ
天皇は、それまでの皇室医学が排除してきた手術を受けました。農業
的な普通は、もはや現代社会で通用しなくなったのです。
 普通が変動すると、正常と異常も変化します。本来正常も異常もない
人間の精神を、現代社会の欲望が海の民の魂・農業の心・工業の知恵を
かき乱し、普通が混乱するとき、グロテスクな正常・異常が生まれるの
です。


(こども、こころ学/石川憲彦さん 一九九四年 春)