D.N.A

 さらに問題なのは、医者のなかに、悪性の遺伝子という表現を用いる
人がいることです。病気を生みだす原因となる遺伝子という意味で、一
部の遺伝子を悪性と呼ぶのでしょうが、優劣の劣と悪とは安易に結びつ
けられます。くり返しになりますが、遺伝子には意味も価値もない。あ
らゆる遺伝子が、原則として一対のパートナーを保有し、その組み合わ
せが表現形式を左右する。この左右の仕方によってパートナーの一方を
優性、他方を劣性と呼ぶ。つまり優と劣は、左と右と同じで、パートナ
ーの標識を表現するだけです。ただ、もともと優劣というのは、主観的
な価値をふくむ言葉。そこに悪性などという社会的に強い価値をふくむ
言葉をもちこむと、深刻な社会差別が登場します。

(こども、こころ学/石川憲彦さん 一九九五年 秋)

さて、まず、遺伝というとき、その意味内容を吟味しておく必要があ
ります。医学的に厳密さを欠くとしても、社会的には最低限、次のよう
な共通認識が必要です。
?純粋に物質レベルで使用する言葉であること。
?学校で習ったメンデルの法則は、遺伝メカニズムの部分的事実にすぎ
ないこと。
?遺伝と環境の関係は未知数だが、けっして対立的ではないこと。
?「家族性」「先天的」「遺伝」などは、それぞれちがう内容を意味する
言葉であること。
 とても大ざっぱで恐縮ですが……大胆にいうと、?は、「精神病は遺
伝か」とか「知能は遺伝か環境か」という質問は「金持ちは遺伝か」と
いうのとほとんど同じだということを示しています。


 しかし、遺伝するのは、あくまで物質の生産性や、その生産性のコン
トロールです。一部の病気の状態の一部分は、そういった物質の動きで
説明できるとしても、それは病気や脳の機能が遺伝するということとま
ったくちがう次元の事柄なのです。

(こども、こころ学/石川憲彦さん 一九九五年 夏)

 ところで、メンデルの法則はどの程度正確なのでしょう。たとえば一
見して同じ赤に見える花も、微妙に色がちがうといったようなことはな
いのでしょうか。実は、これがあるのです。ほんのわずかなちがいの場
合から、まったくちがう場合まで、遺伝子の種類によって異なります。
場合によっては赤と白以外の色が、突然発現することだってあります。
メンデルの法則は、その遺伝子の果たす役割、パートナー同士の関係、
パートナー以外の多くのほかの遺伝子との関係、遺伝以外の環境的要因
などによって、大きく影響を受けます。
 とりわけ、精神医学が問題とする現象を遺伝で説明しようとすると、
メンデルの法則では不充分で、多因子遺伝という考え方を導入する必要
があり、ますます血縁、家系といった言葉では説明できなくなってきま
す。とくに、環境の影響は大。次項で、精神環境へ話を進めます。

(こども、こころ学/石川憲彦さん 一九九五年 秋)