読書メモ 治療という幻想 第四章 脳性麻痺―――リハビリテーション[ぺてん]的治療―――


 つまり、適応主義的教育を克服しつつある養護学校教育とは、それが一般教育に逆導入されてゆく時、適応主義的教育よりさらに、管理的・抑圧的教育となっている。にもかかわらず、なぜか障害児に対して語られると美しくさえ問こえてしまうものなのである。
 


 
 この不毛な論争を展開した共生派の教師の思いはよくわかる。しかし、実はこの反論において、発達保障諭に共育すらが取り込まれている実態が示されたように感じだのは、筆者一人ではなかったようだ。養護学校に対する普通学級、大人の与える楽しさに対する子どもの与える意欲といった対立図式によって教育が語られるとすれば、それは“普通学級内特殊教育″の容認にほかならない。適応主義的教育を受ける四十人の中に、一人だけ発達保障される子どもが生じたにすぎない。
 


 
 通常[人間らしい生き方がしたい」ということばは、多様な内容を含んでいる。もっとも極端な揚合には、「人間らしく死ぬ」ことが「人間らしく生きる」ことの内実であり得る。こういった言語的な矛盾が内容として矛盾しないという前提が許される限りにおいて、私は私なりの人間らしさを、刻々と変動する内容として意識しつつ求めたいと思う。
 しかし、「人間らしく発達する」ということばは、「人間らしく発達しない」ことをも容認するのであろうか。少なくとも、発達ということばのもつ意味あいからいって、成立しないのではないだろうか。実際、助言者として「教育のなかで、発達のみならず、発達しないことや俗に退行といわれる現象をすら内実とし得る発達論なのだろうか」と発言した時、発達保障論派の人々のせせら笑いが起こっていた。「人間らしさ」の主体が誰にあるのか。その多様性はいかに料理されていくのか。この点において、“民主的”“科学的”にすでに一つの方向性が、絶対的な正当性として語られる限り、「人間らしく発達する」ことは「人間らしく生きる」ことと対立せざるを得ない。



 しかし、やはり、ほんのささいないいまわしである「扁平足に土踏まずができる」ということばにこだわりたいと思う。「扁平足であり続ける」ことに人間的な生き方を主張し続けている子どもの存在が無視されている点こそ、もっとも大きな差別であると思う(もちろん、扁平足と土踏まずの形成の不良とは、本来何の関係もないことであり、扁平足が直るといういい方は、科学的な発達ということばと裏腹にまったく非科学的なのだが、その点は大したことではない)。


「人間らしい身体」の内容は、「偏平足に土踏まずが形成され、直っていった」という形式で示された。これに対し、「偏平足であることを人間らしくないとする、差別的発言だ」という指摘がなされた。

 「扁平足であってもよい」「しかし、それを教育によって変化させていった人間関係、共感関係のプロセスを見てほしい」「土踏まずを取り出しだのは、ほんの一つの象徴的な例であって、土踏まずができたことを含む全体の発達を語っているのだ」「そういった全体的な問題とそこに至るプロセスが、この子どもの生きる力を様々に開花させている」。すなわち、「扁平足が人間らしくないといいたいのではなく、扁平足に土踏まずができてゆくという過程、結果、そしてなしとげられたことによる次の展開、こういったところに発達が保障してゆく人間らしさがあるのだ」
 こんな風に語りたかったのだと思う。そして、このことは、子どもの内に発達要求があり、それを支援し指導した結果だといいたかったのだと思う。


 土踏まずの形成が人間らしい発達ととらえられる背景には、次のような思想がある。
 「人間は直立歩行によって、人間らしい文化を築いた(直立による視点の変化、手の自由、立位化による脳の発達等々)。この直立により、足の構造の変化が起こった。土踏まずは、そのもっとも微妙な反映である。よく歩く人、走る人は美しい土踏まずを形成しており、赤ちゃんのように土踏まずのない状態から人間らしくなってゆく過程において、土踏まずが生じるのである」
 したがって、「土踏まずができなくてなぜ悪い」ということは、自然進化文化の否定であり、障害児だからそんなことはどうでもよいということの方が差別であるということになる。
 自然・歴史・文化、これらがさし示す方向に従って、「人間らしい」方向が設定されてゆく道筋がみえてくる。正に、療育者の発想である。



 
 この教師は、「差別していないからこそ、土踏まずの低形成の問題を、普通学校の教育の問題としても提起し広めていっている。障害児教育の内容を一般教育に導入し、一般教育を変えてゆくことにおいて、普遍的普通教育としての障害児学校の教育の質が問われる」旨の発言をした。
現在、生活リズム運動という、「今日の子どもの危機」を立て直そうとする運動かおる。「排便、睡眠、土踏まず……。こういった人間のあり方を正しく指導することが、子どもの健康を守り、ひいては今日の危機的状況から子どもの人格を守ってゆくこと」だと。
 こういった論理によって、子どもの生活に対する弾圧的管理が繰り広げられている。この理論の嘘とひどさは、普通教育のなかではほぼ自明の理となり、下火となってきているのだが、養護学校における療育の論理が強力な後だてとなって、これを支えようとしている。その意味では、教育の療育化は、今や、一般教育にも浸透しつつあるといえる。



 もちろんボバースやボイタが、意図的に日本の行政と組んでプロパガンダを流したというのではない。実際ボイタは条件つきで「CPは直る」と宣伝したが、ボバースは直るとはいっていない。一方、彼らを日本に招いた人々も多くは民間で地道にCPの人々とつき合っている医師、リハビリテーターたちであった。こういった新しい医学の流れに属する人々が、行政に対する不満はあったとしても、その不満の故に「CPは直る」といって自己の地位を高めようとしたのでもない。放置された「障害」の問題に対して、新しい医学の流れが上げたヒューマニスティックな声が、「CPは直る」であったのだ。
 しかし、現実には、このプロパガンダが生み出しだのは障害児・者に対するグロテスクな管理機構だけであった。CPを早期発見せよという世論形成によって充実された乳幼児健診は、未受診者の発見という管理性とCPの数十倍におよぶ障害児予備群の検出という差別性を深めていった。早期治療のためと称して設けられた各地域の障害乳幼児のための就学前教室は、出生直後から普通社会との分離体制を確立した。こういった行政の変化は、後に分析するように、前節の教師の療育者化をはじめ、様々な分野に変動を及ぼし始めている。そしてその方向が、地域社会の新たな再編管理に向かおうとしていることは、仙台の心身障害者相談センターヘのコンピュータ導入問題などから了解されるのではなかろうか。
 古典的な医学の自己規定を被った新しい医学としてのリハビリテーション医学が発祥しようとしたヒューマニズムと、その象徴として語られた「CPは直る」ということばが、自らの意志を裏切って行政的管理の道具とされてしまった。善意がたやすく利用され、逆転されてゆく構造のなかでは、専門家のヒューマニズムは弱者を非人間化するものとしてしか機能しなかったのである。そして今日、CPは、やはりリハビリテーションで直るのではないという認識が再度復活しつつある状況下でも、治療という名の管理はどんどん進行している。
 てんかんの医療をごまかしの医療、先天異常の医療を抹殺の医療と断定してきた筆者の筋からいえば、療育とはぺてんの治療ということになるのだろう。
 



 しかし、年齢というのは、こういった文脈とはまったく異なった形のなかで、運動障害をめぐって登場してくることがある。
 第六章(二五二頁)で金井康治君との対比で紹介するKさんは、十歳の時肢体不自由児となった。彼女が普通学級に復学することは、校長の肢体不自由養護への転学の圧力はあったものの、ごく当然のことと考えられた。一方同じ程度の麻痺があるCPの康治君は六年間も拒否され続けた。細部では二人の差異を様々に取り上げることが可能であっても、基本的な差が発症の年齢にからんでいることは明らかであろう。しかも、その年齢差のもつ意味は、医学的な運動障害の質の差にあるのではない。CPと他の運動障害との差異は、十年間共に生きる生活を誰とともにしてきたのかに存在している。
 


治療という幻想/石川憲彦 1983〜1988