読書メモ 治療という幻想 第三章 先天異常―――予防医学[まっさつ]的治療―――


 しかし、この天は、筆者に一つのブラックユーモア的なあるできごとを思い起こさせる。
 「コンドーム会社に勤める熱心なカトリック教徒がいた。彼は、自らが神の摂理人為的にコントロールしているという罪悪感から、千個に一個穴をあけたコンドームを作ることにした」―英国での実話であり、男は告訴され有罪になったという。




 この胎児期には、サリドマイドや風疹をはじめ、様々な母体の状態や病気、薬剤によって、胎児が病気に陥ることが知られ始めた。旧来の意味では、先天外常の人部分は先天奇形であるが、そのはとんどは、何らかの胎内での胎児の病気によって生じることもわかってきた。厳密な意味では、あざや皮フのしわ、指やまぶたの形まで考慮に人れれは、人はすべて何十かの奇形をもって生まれ出る。胎内の生活は常に安全なまどろみの生活ではなく、刻々と変動する戦いの日々でもある。大きな戦いの時期が、タイミングとして何らかの臓器の重要な形成期に一致すると、目立った形での奇形が生じる。例えれは、建築前や建築後なら地震があっても建築物に支障はないが、かわらをのせている最中に地震があれは大きな影響をこうむるといった風に考えられることである。
 成人になっても、刻々と変動している臓器に皮膚がある。その一部分である爪は、何か重い病気をすると形成の異常をきたす。1ヵ月もたつと、横に大きな線が人った爪をみかけることは誰もが経験することである。成長が激しいために、傷跡も大きく残るというのが、先天奇形の一つの特色であるといえよう。
 爪の横割れが、何らかの病気という環境原因によって起こってくるように、先天奇形も何らかの環境要因によって起こってくる。その意味では、「成長力の大きさ」と「環境要因の側が母体中心か外界中心か」という差を除けば、当人にとっては先天は後天と変わりない。特に未熟児医療が進み、六ヵ月で出生しても生命を助け得るようになり、帝王切開も簡単になった今日、もはや十月十目の日々は天の日とはいえなくなっている。一方、体外受精の成功といったニュースに象徴されるように、胎児期以前においてもすでに生命は維持され、コントロールされ得る。いや、もはや受精すらが、人為的に細胞のレベルで決定される時代である。
 


 一方、天は、別の方向にも延命を開始し始めている。誕生が時開区分の意味をもたなくなった以上、天の側も、後天の世界に進出し始める。
 例えば、十歳を過ぎてから身体が麻蝉し始めると、人は従来の意味で後天的な病気と考える。しかし、先天性代謝異常のウイルソン病という病気では、ある遺伝子が作勤しないために銅が身体中に蓄積されてゆくのだが、この変化は胎内からすでに始まっているにもかかわらず、病状はそうとうに銅が蓄積されてからでないと発生しない。炎症までに平均十年はかかる。
 では、十歳に症状を示すガンはどうであろうか。ガン細胞は八歳くらいから生じていたのかもしれない。しかし、ガンになりやすい何らかの遺伝傾向は、受胎の時にすでに決定づけられていた可能性がある。例えば、母体のピル作用による腔ガンなどはその例であろう。十歳での交通事故はどうであろうか。これは、いささか無理な感がある。しかし、天を強調する人なら、「不注意な性格傾向」を生み出しやすい遺伝子を考えるかもしれない。特に、『傾向』とか『体質』といったものに対する遺伝傾向は、一つの遺伝子によって決定されるのではなく、いくつかの遺伝子の組み合わせ方で決まってくる」という、いわゆる多因子遺伝という考え方が導入されて以後、高血圧も糖尿病も、成人病であれ、老人病であれ、遺伝の世界が強調されるようになってきた。
 



(ただ、英語では〝出産と共にある異常〟と定義どおりにCongenitialとつづる。この点では、天という言葉を使用した日本人の宗教的予断が、「先天」ということばに認められるのだが)。
 



 例えば、裁判などにおいて、先天的には問題のない人間が後天的な要因で罪を犯したということは、次のように解釈されるらしい。「本来ならまっとうな人間であり得たのが、社会的諸条件が劣悪であったため、やむを得ずに犯罪を犯してしまった」という意味で、情状酌量の理由となり得る。逆に、「生まれつき不利益があったために犯罪を犯した」という弁護も成立するのであろうが、一般的には、環境原因説(後天的)の方がより有利に作用するのではないだろうか。例えば脳性麻疹の障官省が泥棒を働いたといえば、犯罪可能性のある障害者を野放しにする危険性がクローズアップされるであろうし、交通事故で手足が不自由になったため食う金に困って盗んだといえば、交通事故の加害性という社貪慾が浮き彫りにされよう。
 これはたぶん、今日の社会の多敬者である健常者にとって、交通事故は日々のわが身のことであり、脳性麻疹は自分とは無関係な特殊な人間のできごとであるという生活実感によるところが大きいのであろう。健常者にとって、先天とは、何か厭うべき特殊な人間のできごとであり、後天とは、同時代の人間の全体的な課題であるといった暗黙の了解が成立している。
 家系、血統、仏教的因果観などによって、「先天とは呪われた恥ずべ現象である」という通俗的解釈は、かなり根深く私達の内に宿っている。『ヴァンサンカン』事件は、このことを如実に示したものであった。
 

 もちろん専門用語といったものは、多かれ少なかれ、通俗的用語と内容を異にするものである。高級アルコールと低級アルコールという区別は、化学的には炭素の数の多少を示す区別概念であるのに、通俗的にはうまさや値段の差を示すものと考えられるといった具合である。単に専門家と素人の知識量とことば遣いの差の問題で片づけられることもあろう。
 しかし、アルコールの話は笑ってすませられるが、価値概念を含まない客観的な科学用語が、重大な社会価値を含んだ偏見によって使用されると、事態は深刻である
 



 遺伝子操作の技術が進み、精子卵子のスクリーニングが進めば、遺伝子病や染色体異常が確実に人類の歴史から消去されてゆくであろうことは、SFの世界の物語として終わるのではなさそうである。もちろん、これにかかるコストの問題を考えれば、実現されるとしても、ごく少人数の人類しか地球上に生存できなくなった時にしか可能でないかもしれない。しかし、少なくとも、障害者が一生生存するのに必要なコストより、スクリーニングのコストの方が安価であるとなれば話は別である。アメリカでのフェニルケトン尿症のマス・スクリーニングが、人間の存在の意味よりも、このコスト計算によって成立してきた過程がある。
 





 水頭症のその子は、一生何の反応もみせないだろう、とみられていた。小児科学の専門宗である東大医学部助手の石川憲彦さんが主治医であった。彼の医師としての解釈が揺らぎ、カルテを書く椅子からころげ落ちそうになったのは、その子が二歳三ヵ月の時である。
 生まれる前から、何らかの障害をかかえることが確実視された。母(三十八)はたび重なる流産に加え、死産二回。やっと生まれた長女も、水頭症のため一歳一ヵ月で死んでいる。その後の検査で両親に染色体異常が見つかった。専門医は妊娠を思いとどまるよう求めたが、

 やがて出産へ。案の定、出産前のレントゲン撮影では、胎児の脳は異常に大きく映っていて、死んだ長女と同様の水頭症である可能性が高い、と判定された。その写真を見たベッドの母は、不安顔の産婦人科医にしばらくして「あら、この子、羊水の中でVサインしているわ」と無邪気に叫んだ。長男は羊水検査直後、正常出産より五十目早く、仮死状態で生まれた。頭には、水がたまり始めていた。その水を取り除いたとしても命を永らえさせることしかできなかった。手術をを渋る医師たちを両親の熱意が動かした。小児科、小児外科、脳外科でスタッフが組まれ、生存のためのあらゆる努力がなされた。
 生後まもなくから彼を診てきた石川さんに、母はしばしば便りを寄せている。いつも「前のおねえちやんは一歳とちょっとで死にましたが、この子はもう一歳半になり、笑うようになりました。いま、子を持つ幸せをかみしめています」といった内容であった。両親の底抜けの明るさは、むしろ石川さんの心を暗くした。笑い、と映っているのは、専門家から見ると明らかにけいれんである。両親が「外に出ると島や雲を追って喜ぶんです」ととらえたのは、実は水頭症特有の眼振であった。目が一点を見つめられないので、自然にぐるぐる動くのである。
 リハビリの常識に反することも平気でした。マヒによるそっくり返りは直さなければならない、とされる。長男のその動作を両親は「伸びをするようになった」ととらえた。それを奨励し、喜ぶ両親に向かい「マヒが原因」とは宣告できなかった。
 二歳三ヵ月となったその時――診察を終えた石川さんは、「さあ帰ろうね」と母に抱き上げられた彼をなにげなくふり返った。はっとした。彼のにこっとした顔は、とてもひきつったようには見えない。思わずかけより、「もう一度やってみて」。母がのぞき込むと、彼はまたにこっとした。断じてけいれんではない、確かな笑いだった。夫婦にとって、彼はまるで「いのちの川に浮かんで、流れてやってきた」宝物のようであった。反応がないとみられた彼のなかで、なにが「私」を切り開いていったのか。

 「最近、彼は発音もできるし、言葉も分かるようになった。もし、彼が医師やリハビリ専門家の手にゆだねられていたら、無反応が続いていただろう。医学や治療というものはまだまだ分からないことが多すぎるのです。それどころか、治療というものは部分だけをみて、そこを強調して全休を切り捨ててきたのではなかったか。一家の人たちと付き合うほどに、人間のおおらかさに勇気づけられてしまうんです。もう、私は彼ら一家に一生頭が上がんないんだなあ」
 
 医師は、私を含めて誰もが、「小学校時代、友人だちと遊びに出かけて、夜遅くまで帰宅せず親を心配させる」彼を予測し得なかった。それは、彼の成長を個人の生物学的な成長としてしか考えられず、彼の治療を、彼の個体に加える操作としてしか位置づけられなかったからである。したがって、水頭症の手術に対する予後も、不良で好転のきざしなしとしか受け止められなかった。

 タクちゃんは、超早期療育を受けるチャンスがあった。三ヵ月頃から姑めるボイタ・ボバースの早期療育より、もっと早い方がよいということで、出生直後からの超早期療育が試みられている。彼はそのチャンスを有していたが、「あまりに重度であり、その効果すら期待できない」という判断によって、療育されなかった。あまりに重度だからという考え方は、基本的に差別に満ちている。しかし、結果としてみれば、皮肉なことにそれがよかったのだ。

 いま、この手は、依然として限られた範囲に、限られた形でしか動けない。しかし、いつの間にか、不随意ではなくなってしまっている。そして、この手はタコを上げ、握手をし、気持ちを伝え、車椅子を動かし、人の声に合わせて数をかぞえ、計算をする手に変わってきている。 病理を生理に変えることに眼が奪われていたなら、病理と他者の眼に写る現象をとおして主張されていた彼自身は、否定されきっていたであろう。手に限らず、彼のけいれん発作、眼振、後弓反張といった病理はすべて、彼を発揮する個性的手段へと変容していった。しかも、この変容のうちいくつかは、彼の周囲の子ども集団が切り開いていったものである。


 この天への信頼感は、決して、御利益宗教的な信仰と同じではない。天を信じれば「病気が直る」とか、「障害児が生まれない」といった道筋とはまったく具なっている。子どもがどういった条件をもって生まれようと、それが天によってもたらされた生命である限り、天が生み出した他の生命(人間)とともに生き合うことが約束されているといった意味で、天が全面的に信頼されていたのであろうと思う。
 一方、この天は、カトリックなどに認められる天とも異なっている。カトリック世界では、障害者を「聖なる患者」として美化し、人間の高みにおいて、逆に差別を生じさせる。神に祝福されているが故に、「障害」が下ったのだとみる見方である。これとの違いは、手術をするか否かという決断の時に、具体的になってゆく。
 神の祝福であるなら、手術は、行なう必要がない。
 出生直後、記事では軽く記している〝手術をするか否か〟の論争は、かなり深刻であった。外科医は手術を拒否した。理由は「単純な水頭症だけなら、手術しても好転を望めるが、このケースでは水頭症の原因が染色体異常にある以上、なんの効果も期待できない」ということであった。
ひらたくいえば、手術をしたところで、一生寝たきりである。一生、たぶん何の反応も示さないことは、染色体をみても明確なのだから、ムダな手術をするより安楽な死を早く迎えさせてあげる方がいい。そういうことである。
 この論理は、癌末期の患者さんに対して、手術をしないというのと同じように用いられた。そして、私自身、医者として一度は納得してしまった。


この天の前では、つい最近まで医学総体を否定してきたカトリシズムと医学とが、管理の根において同質性をもつことすらが明確にされてゆく。
 今日の医学が、中絶―間引きを優生保護法等において正当化し、左翼陣営までがこれを後押しする構図の中で、唯一、間引きを阻止してきたのは、ローマカトリックであった。すべての中絶を、神の意志に反するとして否定し続けてきたのである。
 この点においては、右から左までのさまざまな陣営が論理的には敗北しつつ、しかし現実に進行する中絶を正当化するために、あいまいなごまかしの論理でお茶をにごしてきたのと対照的である。日本においては、カトリシズムが成長していないが故に、いとも簡単に優生保護法が成立してきたのである。
 ところが、右の側がこの法律をめぐって経済条項を削ろうとした時、初めて左と右の間に、間引きをめぐる分裂が生じた。左の側は、「女性に(母親の側に)子どもを産む権利、産まない権利が存在している。この権利を脅かすのが優生保護法の改悪である」といった母性保護の立場をはじめて追認し始めているかにみえる。
 しかし、右の側が立てた「母体の出産による生命の危険または、生まれる子に『障害』が予測される時にのみ中絶を認める」という論理と、経済的な条件も削るなという論争は、カトリシズムの論理の前では五十歩百歩である。というのは、カトリシズムは、あらゆる生命の平等という大義を有しているが、これに対抗する大義は右にも左にもない。なぜなら障害児なら中絶してもよいという条項を認める限り、左の論理も、女の産む、産まない権利を論じているのではなく、「自分たちにとって都合のいい人間だけを生命として認める」権利や自由を主張しているにすぎないからである。
 


治療という幻想/石川憲彦 1983〜1988