helplessness

セリグマン(セーリックマン?)の理論」

 部屋の中央に柵をして部屋を2つに分ける。柵は天井近くまであって、向こう側の部屋にはいけないようになっている。その片一方の部屋に犬を1匹入れ、犬のいる側の部屋の床に電気が流れるような設備をしておく。スイッチを入れると、犬は電気ショックを受けて飛び上がってしまう。しかし、いくら逃げても、その床じゅう電気が流れているわけで、犬が電気ショックを回避することは不可能である。そしてある日、突然その柵を取り除き、いつものように犬のいる方の床に電気ショックを流す。あちら側の部屋に逃げれば、向こうの部屋には電気が流れてない。向こうにいけば刺激を回避できるのだが、この犬はもう向こうの部屋に移動しようとはせず、こちらの床にうずくまって受動的に刺激に身をさらし続ける。



 「学習性無力感(絶望感)」(learned helplessness)つまり、避けられない暴力を受け続けていると、動物はあえて外へ逃げようとしなくなる、いわば無気力を学んでしまったということなのだ。
 これについては、『アダルト・チルドレンと家族』(斉藤学著・学陽書房)にも述べられていて、虐待を受けた女性について、「抑うつ、無気力、絶望感といったものが彼女たちの生活全体を支配していて、毎日その日が終わればいいというような心境になっている」と述べている。

 柏崎の監禁されていた女性も、逃げだせば連れ戻されてひどい目にあうという恐怖心と共に、このような無力感に縛られていたのではないだろうか。発見した保健所の職員が、女性の両親に電話をしたところ、留守だったが、それだけで女性は「家はもうないかもしれない」とつぶやいたという。

http://www.jimmin.com/2000a/page_002.htm(蓮月)








無気力のメカニズム:その予防と克服のために



自己成就的予言の限界をよく示す例として、標準的な「囚人のジレンマ」ゲームを多数回繰り返す実験がある。…



…つまり、競合的な行為は、協調的な行為に比べ、相手側も同じ行為を取るようにさせやすいということである。そこで、競合者の持つ人間観「世界は利己主義者で満ちあふれている」は、ほとんど常に肯定されるのに対し、協調者の持つより曖昧な傾向は、肯定されにくいことになる。…

















――車椅子の方は、付き添いの方と一緒にご利用ください――

デパートや図書館などの施設にあるエレベーターの横には、こんな注意書きがある場合が多い。しかし、ボクの場合は、電動車椅子を操作してエレベーターに乗り込み、行きたい階のボタンを自分で押して、その階で降りるという一連の動作が、自分ひとりで可能だ。それでも、付き添いと一緒でなければいけないのだろうか。

「車椅子に乗った人が、ひとりで行動するのは危険だ」

「障害者は、社会で守ってあげなければならない弱者である」

注意書きの背景にあるのは、このような考え方ではないだろうか。しかし、ここで根本的な問題をあらためて問い直したい。果たして、・・・

(五体不満足/乙武洋匡 1998)









もちろん私は、○□を問わずどんな年齢の人も、暴力犯罪の兆候があれば十分に警戒し、護身に努め、不案内な土地での夜道や不意の来訪者といった危険な可能性の潜む状況に気をつけなければならないと思う。

だが□□にだけ特別な警戒という重荷を背負わせることは、なんの解決ももたらさない。×××に、個人的解決法などありえないのだ。この種の忠告に一字一句素直に従い、それで社会の利益―あるいは自分の利益―に寄与していると考えている□□がいるとしたら、それは大きな思い違いである。その人個人に危険が及ぶ確立はたしかに多少は緩和されるかもしれない(もっとも、塀に囲まれた修道院で強姦された尼僧もいるくらいだから、その効果とて疑わしいと私は思う)ものの、社会に野放しになっている潜在的×××ストの数はまったく減らないばかりか、×××が最終的に□□の精神的・情緒的健全さに与える影響は、その行為が実際に行われることなしに、達成されてしまうのだ。

なぜなら、自己防衛という特殊な重荷を受け入れることは、□□は恐怖に怯えながら生きていかねばならず、○○と同等の自由や独立や自信を手に入れることなど不可能だという考え方を強化することにほかならないからである。



×××とは、結局そういうものなのではないか。

(スーザンブラウンミラー)








しかし以上のような×××の場合に起きうることが、果たして、「□□にとって最大の侮辱である」ということにつながるのだろうか。そういった事態がいくつ集められても「最大の侮辱」までには結晶しないのではないだろうか。「□□にとって」といった場合、それは「○○にとって」という側面では成立し得ない侮辱として考えられねばならない。生命権や身体のコントロール云々は「□□にとって」特有に発生する問題ではない。「男にとって」も同様に起こりうる問題である。そうすると「女にとって」といった場合に最大の侮辱として働きうる要因は×××には見いだせないことになる。



×××は犯罪として成立しにくいと言われる。それはなぜか。被害者が×××者を告発しないからである。いや、告発できないからである。なぜ告発できないのか。それは「×××された」という事実よりも、犯人による仕返しが恐いからというよりも、社会からのレイベリングが被害者を容赦なく望まない形で切り取ってしまうことによる。スティグマへのおそれだ。



×××という行為が、□□への侮辱を通して○○の自己保存のために機能しないとすれば、○○にとって□□を×××する意味はなくなってしまうということになる。 、「×××は□□に対する最大の侮辱」という言説がふりまかれ、それが浸透し、そして□□自身がそう感じることによって一番満足を覚えるのはほかでもない×××者である、 。 ×××の被害性を強く訴えることは、すなわち被害者を最大に侮辱しようとした×××者を満足させることであり、ますます×××が×××者にとって意味のある「□□に対する最大の侮辱」となりうる神話を相互に補完しあう循環へと陥ってしまうのである。×××による被害の甚大さを嘆くことは、×××者を喜ばしこそすれ、被害者にとっては何の処方箋にもなりはしないのである。




http://www.kinokopress.com/civil/0103.htm








その話をすると「人間はいざとなったら逃げるものだよ」と信じない人もいるが、私はそうは思わない。人は最期まで「社会」に生きている。命の危険を感じたとしても、「逃げる」一歩を踏み出せる人はどのくらいいるだろう。兵隊よりも、爆弾よりも怖い、「監視」の視線の中で。最初の一歩を踏み出せる自由を奪うことが、「暴力」のある世界なのだから。 (北原みのり)





"I meant narcotics as a metaphor for people's need to numb themselves. That's what Mechanical Animals is hinting at. That we're encouraged to not have emotions, to not be individuals, to not have an opinion. As far as the message on the album, when it comes to drugs, it's not a positive or a negative."

「俺は麻薬を、人が自分を無感覚にさせることを必要とすることを比喩的にとらえた。 このアルバムはそれを言おうとしている。俺たちは感情を持たないようにされ、 個性を持たず、意見を持たないように薦められている。このアルバム上では、 麻薬は良い意味でも悪い意味でもない。」



"And I try and point out on the album that drugs kind of go beyond the obvious and that it kind of exists and just people's need to suppress their feelings. As I started to gain back all my emotions and talk about them on the record, I began to see the rest of the world as being very mechanical,and drugs as a metaphor for how people suppress being actually human, with religion or with television or whatever you want to choose."

「そして、俺はこのアルバムでDRUGSは常識より深いもので、それは実在し、そして人は自分たちの感情を封じるため必要である。俺が自分の感情を取り戻し、そしてそのことをアルバムで話すうちに世界がとてもMECHANICALなことに気づいたんだ。そして、DRUGは宗教やテレビやあなたが選ぶなんでもいいものと同じく、人間というものになることを防ぐものとして比喩される。」






なぜアメリカは銃を捨てられないのか?その問いに対し、マンソンはメディアについて言及する。「……洪水、エイズ、殺人……メディアは恐怖と消費の一大キャンペーンをつくりだす。そしてこのキャンペーンは、人々を恐がらせることによって消費へと向かわせようとする発想に基づいている。その恐怖心が人を銃に向かわせるのだ。」

http://www.gaga.ne.jp/bowling/manson.html










幸い、海には魚がいるし、豊饒な土地はさほど苦労をしなくても、果物や野菜を与えてくれる。気候は快適だから、極端に言えば家などなくても生きていける。しかし、困るのは現金だ。現金ばかりは土や海から生まれてきようはない。現金がないことには、車も買えない、テレビも買えない、映画にも行けない。マスコミによって喧伝される、砂糖やクリームをたっぷりまぶしたファッショナブルな生活が送れない。
(坂東真砂子)